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映画【野良人間】のネタバレ!ホラーと思って観たらダメ!親に押された焼印の連鎖がおぞましい結末を招く

心霊現象、猟奇事件を超える狂気の実話をドキュメンタリータッチで描いた映画『野良人間 獣に育てられた子どもたち』が、2021年5月21日に公開されました。

1日に約300人が誘拐され、年間3万人以上が攫われて命を落としているといわれる、犯罪大国・メキシコで起きた“禁断の実話”とのことで、筆者は早速いそいそと鑑賞してまいりました。

結果ちょっと色々と言いたいことがありますので、本記事では、映画『野良人間 獣に育てられた子どもたち』のあらすじをネタバレ、後半では「多くの観客が抱えるであろう“モヤモヤ”」に切り込んでいきたいと思います!

映画『野良人間』の予告動画がこちら!

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ジャンル POVホラー・サスペンス
制作年 2018年
監督 アンドレス・カイザー
キャスト エクトル・ノゲーラ、ファリド・エスカランテ

監督のアンドレス・カイザーは、メキシコでドラマやドキュメンタリーの編集を数多く手がけている人物で、長編映画の監督は本作が初めてとのこと。

映画『野良人間 獣に育てられた子どもたち』には国外の映画祭での受賞もいくつかあり、さらにアメリカの映画批評サイト「ロッテントマト」ではなんと100%の高評価を獲得したという、期待値爆上がりの触れ込みです。

原題は『野生』でしたが本作の邦題がつけられ、日本のスクリーンにレイトショー限定で怪しげに登場したわけなのです。

映画『野良人間』はどんな作品?

公式サイトいわく、“徹底したドキュメンタリータッチで描いた衝撃の問題作“。つまりドキュメンタリー手法で撮影した「モキュメンタリー」ということで、特別観客を騙すつもりもないようです。

メキシコの山奥が舞台になった本作。中南米の森林というのは、内戦の歴史などから怨を抱えて亡くなった方の怪談が伝説として語り継がれる場所でもあります。雰囲気ありますね。

ところが、本作のレビューサイトを覗くと「ホラーじゃねえじゃねえか!」「退屈過ぎた!」「オチがあまりにも不明瞭!」などなど酷評の嵐。

そ、そうなんです〜。本作はホラー映画ではないのです。これは完全に宣伝方法を誤ったとしかいえない状況では、と思います。「結局一番怖いのは人間・系」の映画であり、さらに本作で恐ろしいのは野生化した子供達ではないのです……。

映画『野良人間』のあらすじをネタバレ!

「メキシコでは誘拐事件が多発していますが、中には人身・臓器売買の犠牲になっている小さな子どもたちがいます」。

な〜んてチラシに書いてある映画『野良人間 獣に育てられた子どもたち』ですが、その辺りのことって本編でまったくモチーフになっていないんですよ!

ここからは本作のあらすじをネタバレ付きでご紹介していきます。

メキシコの山岳地帯で発見されたビデオテープ

舞台は1987年、メキシコの街から遠く離れた南西部にある山岳地帯。
森の民家で不審な火災が発生し、家屋が全焼したことから物語は始まります。

当時その焼け跡からは、3人の子供と一人の男性の焼死体、さらに“1本のビデオテープ”が発見されていたのです。一旦は行方不明になっていたそのビデオは2017年に未解決事件の取材班の手に渡ることになります。

30年前のビデオテープ。そこに写っていたのは、獣のように振る舞う完全に野生化した子どもたちの姿でした。

焼け跡には檻に入れられた3人の子供の遺体と…

子供たちの焼死体は、発見当時檻に入れられていました。取材班がいくら調査しても、子供たちの身元はわからないまま。

しかし、共に焼け死んでいた男性の身元は明らかになりました。彼の名前は“フアン”。フアンは俗世間との繋がりを一切絶って山小屋で生活していた元・修道士でした。

フアンは一体どんな人物だったのか。そしてなぜ不可解な死を遂げたのか。当時遺体を引き取った男性や、旧友、事件を忌み嫌う街の住民たちの証言が次々と語られます。

カトリック教徒の人生を否定されたフアン

フアンは厳格なクリスチャンの母に厳しく育てられ、それに何の疑問を持つこともなく神学校に進みます。メキシコは敬虔なカトリック教徒の家庭が多く、フアンの育った環境もまたそれでした。フアンの修道士時代を知るものは「彼はものすごく頭が良かった」と語ります。

フアンはある日、自分の揺るがぬ信仰を証明するため、精神分析医の診断を受けました。ところがそこで「無神論者」の診断が出たことで異端視され、なんと修道院を追われてしまったのです。

こうして彼は森の奥に籠り、聖職に就くことを諦めます。これまでの人生を否定されたフアンは、神の存在を自己の内面に探すようになっていきました。

森で見つけた謎の野生児

森で暮らすフアンに訪れた転機、それは森の中で野生児を見つけたことでした。フアンの旧友の証言によれば、フアンと旧友は山奥でこの野生児の少年を見つけたと言います。

野生児は言葉が話せず、四つ足で歩き、歯はボロボロに砕けていました。獣と呼んでも差し支えないような状態でしたが、彼の目は明らかに人のそれであり、知性が感じられたといいます。

フアンは彼を捕獲、そしてその場にいた旧友に口止めをし、この野生児を自分の手で育てることにしたのです。

獣を人にする作業に優越感を得るフアン

フアンは野生児に名前をつけ、洗礼を施し、「人間らしい存在」に育てることに生きがいを感じ始めます。野生児とフアンとの生活はビデオに収められ、修道士時代の友人に送られていました。

「少年の発達度合いを評価してもらいたい」という手紙が添えられていますが、これはフアンが「自分の神的な行いを評価して欲しい」という欲求に過ぎません。

一見暖かく感じられる彼らの生活ですが、子供たちが興味を抱いたものを徹底的に遠ざけたり、“神の羊飼い”になることを強要し始めるなど、フアンの行動は怪しく変質していきます。

さらに、洞窟から少年よりも幼い2人の少年少女の野生児を保護したフアン。家主のフアンの“善意”はますます屈折し、森の民家は不吉な雰囲気で満ちていきます。

中傷に耐えられないフアン、自我を持ち始めた野生児

元修道士と3人の野生児の奇妙な生活、その異様な雰囲気に街の住人も気がつき始めました。元々人との関わりを絶っていたフアンですから、住人も想像することしかできないのです。

「フアンは子供を監禁している」「あの子供は街からさらった女に産ませたのだ」など、いわれない中傷を受けたフアンはますます自己の内的な神を盲信するようになり、自我が芽生え始めた子供たちにも拒絶の色が見え始め……。

映画『野良人間』のモヤモヤを解決!

戦慄のホラー!という感じの宣伝のわりには、終始淡々と野生児との共同生活の様子が展開される映画『野良人間 獣に育てられた子どもたち』

本作の引っ掛かりポイントと感じた部分、ちょっとあげてみたいと思います。

  • これはメキシカン・ホラーじゃない
  • 野生児の謎が最後までわからない
  • 獣に育てられた、“獣”とは誰か

まず「メキシカン・ホラーじゃない」

告知では「メキシカン・ホラー」として伝えられていた本作。舞台がメキシコということで、児童誘拐と山岳地帯の野生児の伝承の“メキシコの闇の部分”が合体したホラー作品だと思っていた観客がほとんどだと思います。

雰囲気はかなりいいのに、フアンたちの生活をただただ見せられる流れから「眠い」というレビューが多いのかな、と。しかも“1本のビデオテープ” なんて、ホラーの要素でしかないモチーフが燦然と輝いているものですから、余計に期待してしまったんですよね。

フリーク系の映画は以前からたくさんありますが、本作は野生児たちが恐ろしいことをするわけでもなく、ホラーという意味では盛り上がりに欠けます。

取材班もなぜか、野生児の出生よりも山小屋の火事の真相を探る姿勢。観客的には「違う、そうじゃない」と言いたくなるのも頷けます。

野生児の謎は「最後までわからない」

それで結局、意味深に発見された野生児たちのバックボーンは最後まで明らかにされません。ちょうど年末特番の「ツチノコ探索!」みたいな感じのブラーンとした終わり方。

野生児といえばインドで発見された狼少女・アマラとカマラを連想される方も多いと思うのですが、本作に登場する野生児たちは獣に育てられた描写もなく、想像するに捨て子かな?という雰囲気。

彼らが森の中、子供だけで生きてきた方法なども明かされません。

そんなぼんやりとした輪郭しか紹介されない野生児たちを、旧友に口止めしてまで保護し、“自分の力だけで”人間として更生させようとする、元修道士・フアン。

「まずは警察に行けよ!」とか「こんなところに子供だけでいるなんて不自然だ!」という、リアリスト派の観客も、この辺で脱落されるかもしれません。

「獣に育てられた」のは誰

邦題につけられた『獣に育てられた子どもたち』。野生児たちは、何か森の獣の飼育下にいたわけではないということが分かりました。

では彼らを育てた“獣”は、本作のどこに登場するのか?」。元修道士のフアンは、母親の教育により無意識に信仰を強要されて青年期を過ごしました。

そして精神分析により、あっけなくその全てを否定され、これまでの「賢く信心深いフアン青年」のラベルを剥がされてしまいます。ところがそのラベル自体、彼が望んで貼ったものではなく、毒親とも言える厳格なカトリック教徒の母親に物心ついた頃から焼き付けられていた焼印でした

そんな彼の前にお誂え向きに現れた、信仰を持たない野生児たち。フアンは自分が母にされてきたことを、ほとんどそのまま野生児たちに施すことで優越感を得ます。野生児たちに神の存在を“植え付ける”という表現がしっくりくる振る舞い、対等ではないのです。筆者は虐待だと感じました。

しかしフアン本人は自身のエゴに全く気が付きません。だって母親にされてきたことを、そのまま野生児にしているだけなのです。本作では、児童虐待の恐ろしい連鎖が描かれています。

「本作の“獣”とは、野生児たちの心を蹂躙した元修道士フアンのことである」。観賞後には自然とこのように受け取ることができます。

ところが、フアンもまた、厳しい母親という“無意識の獣”に育てられた、哀れな子供のひとりだったのです。

映画『野良人間』の結末は“無常”と“自滅”

ちょっと語ってしまいましたが、本作『野良人間 獣に育てられた子どもたち』、正直作品自体は面白くなかったです……!

キャッチコピーや宣伝ポスターのミスマッチが、肩透かしの原因のひとつではないかと思うのですが、作品そのものもかなり単調。“戦慄”とか“驚嘆”というフレーズは本作の雰囲気ではありません。

フアンは修道院に拒絶され、野生児は神を拒絶し、そして彼らは神に拒絶され、人里離れた山小屋で焼死体になりました。この無常さに何か見出したい、という方は、結構最後まで面白く観れるのではと思うのです。

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