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山田洋次監督『男はつらいよ』シリーズ最新作に見る、「フーテン」とは?

金子光晴の詩『ニッパ椰子の唄』の中に、こんな一節がある。
「『かえらないことが最善だよ。』それは放浪の哲学。」
フーテンの寅さん」に思いを馳せる時、どうしてもこの部分が脳裏をよぎる。

(C)2019松竹株式会社

「フーテン」とは、この言葉どおりの「放浪者」を意味するのだろうが、それはやはり、「かえる場所」があるからこそ成り立つのだろう。もし「かえる場所」がなければ、放浪者はいつまでもさまよっていなければならない。
だが人間は、肉体という朽ち果てる運命の器を持っている。
そうである限り、私たちには誰もが必ず「かえる場所」があるのだ。
「寅さん」こと車寅次郎は、私たちにいつも「かえる場所」がある安心感を思い出させてくれる。

山田洋次監督が、最新作に込めた願いとは?

(C)2019 TIFF

22年ぶりに寅さんが帰って来た。
車寅次郎を主人公にした映画『男はつらいよ』シリーズは、寅さん役を演じる俳優の渥美清さんが亡くなって以来、1997年公開の『寅次郎ハイビスカスの花 特別編』を最後に、密かな眠りについたようだった。
だが今年2019年、『お帰り 寅さん』と題し、50作目にあたるシリーズを山田洋次監督は復活させた。
そして同作は、10月28日から開催される第32回東京国際映画祭のオープニング作品として、上映されることが決定している。
山田監督は、「先行き不透明で重く停滞した気分のこの国に生きるぼくたちは、もう一度あの寅さんに会いたい、あの野放図な発想の軽やかさ、はた迷惑を顧みぬ自由奔放な行動を想起して元気になりたい」と願って、製作を決意したと語っている。

寅さんの故郷、東京・葛飾柴又「くるまや」の今

その新作の主人公は、会社員を辞め、小説家となった寅さんの甥・満男(吉岡秀隆)。物語は、中学三年生の娘と二人暮らしの満男が、亡くなった妻の七回忌の法要のため、東京の葛飾柴又に帰るところからはじまる。そこはかつて、草団子屋「くるまや」だったが、いまでは新しいカフェに生まれ変わり、母・さくら(倍賞千恵子)、父・博(前田吟)がひっそりと暮らしていた。
そして満男たちは、昔話に花を咲かせる。満男にとっての伯父・寅次郎は、いつも満男の味方でいてくれたことを思い出し、満男は寅次郎へ思いを馳せる。
そんなある日、満男は書店でサイン会を行う。するとそこに、満男の初恋の人・イズミ(後藤久美子)が現れるのだが……。

「フーテン」とは何か?「『精神の自由』と考えたい」

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「姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します」
寅さんといえば、この口上が有名だ。
的屋を生業とする寅さんは、日本各地を飛び回り、その土地その土地で出会う初対面の人々に、こうした粋な自己紹介をする。そうして人々を惹きつけていくのだ。
この「フーテン」とは、もとは精神疾患を指す言葉だったようだが、1960年代ごろから台頭した日本のヒッピー的な若者たちを、「フーテン族」と称したことから、「決まった仕事や住むところを持たない人」の意味になったらしい。
ところが、『おかえり 寅さん』の英語字幕では、「フーテン」が「free-spirited fool」となっていた。直訳すると、「精神の自由な愚か者」だろうか。そうすると、旅暮らしが基本の寅さんの「決まった住むところがない」ことについては、網羅されていない印象を受けた。
だが山田監督は、「翻訳の問題ですから、なかなか難しいんですけれども」と前置きをしてから、「僕はやはり、『精神の自由』な男っていうふうに考えたいですね」と述懐。
つまり、目に見えない「精神」は自由だからこそ、目に見える住むところや肉体がなくても、必ず「かえる場所」があり、いつかはみんなそこにかえっていく。そんなメッセージが、『おかえり 寅さん』には込められているような気がする。「かえらないこと」が「放浪の哲学」ならば、やはりそれは、「かえる場所」があるからこそ成り立つ「哲学」といえる。
「先行き不透明で重く停滞した気分のこの時代」に必要なのは、おそらく自分にとって、定まった「かえる場所」があるという安心感だろう。
『男はつらいよ お帰り 寅さん』は、今年9月に88歳を迎えた山田洋次監督が、改めて日本人に教える「かえる場所」の象徴であり、「放浪の哲学」なのかもしれない。

『男はつらいよ お帰り 寅さん』公式サイト

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