映画『横道世之介』をネタバレ考察!普通の男の人生がこれほどまでに愛される理由とは?

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出典元:横道世之介 – You Tube

2013年に公開された、高良健吾主演、沖田修一監督の青春映画『横道世之介』。この作品は、『悪人』、『怒り』、『楽園』といった話題作を手掛けた作家・吉田修一による同名小説を原作とした映画です。

映画『横道世之介』は、多くの人々から好評を博しているだけではなく、国内の数々の映画賞を獲得するなど批評家からも高い評価を得ています。

なぜ本作はこれほどまでに人々の支持を集めているのでしょうか?この記事では、映画『横道世之介』の魅力についてネタバレを含めながら考察していきます

映画『横道世之介』とは

映画『横道世之介』の監督・脚本は、『南極料理人』(2009)、『キツツキと雨』(2012)などで当時新進気鋭の若手監督として注目された沖田修一が務めています。一見何でもないような日常風景をほのぼのとした雰囲気でありながらかつリアルに切り取る人間観察力とその描写には定評があり、本作『横道世之介』でもその力が存分に発揮され、横道世之介という男の人生が映像を通して率直に伝わってくる作品となっています。

映画『横道世之介』の物語は、1980年代のバブル期の東京を舞台に、大学に通うために長崎から上京してきた主人公・横道世之介(高良健吾)が周囲の様々な人々と関わり合いながら日常を過ごす様子を描く群像劇となっています。

キャスト

横道世之介:高良健吾

与謝野祥子:吉高由里子

倉持一平:池松壮亮

片瀬千春:伊藤歩

加藤雄介:綾野剛

あらすじ

1987年の春、大学に通うために故郷の長崎から上京してきた18歳の横道世之介(高良健吾)。東京で大学生活を送るうちに出会った倉持(池松壮亮)や加藤(綾野剛)、祥子(吉高由里子)、千春(伊藤歩)らに振り回されながらも、明るくお人好しな性格で周囲の人々を幸せにし、多くの思い出を残しながら1年間を過ごす。

映画『横道世之介』のネタバレと考察

映画『横道世之介』で描かれる世之介の日常は、私たち視聴者にとって非常にリアルで、実際に自分の身の回りで起こったことのように感じられます。

なぜ私たちは世之介に共感を覚えてしまうのでしょうか?その理由について、映画のネタバレを含めながら考察していきます。

横道世之介を取り巻く人々の鮮やかな描写

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出典元:映画『横道世之介』公式Facebook

『横道世之介』には、非常に多くのキャラクターが登場します。大学の入学式で出会い友人となる倉持、大学の同級生でのちに倉持の妻となる唯(朝倉あき)、年上で憧れの女性千春、ゲイであることをカムアウトする友人の加藤、アパートの隣人のカメラマン室田(井浦新)、そして本作のヒロインで、世之介の恋人となる金持ちのお嬢様の祥子。

世之介とその周囲の人々の生き様は、沖田修一作品特有のほのぼのとした雰囲気の中で、役者たちの演技を通して瑞々しくかつリアルに描かれています。その様子は、映画を観ている私たち自身が歩んできた人生そのもののように映り、懐かしさで胸がいっぱいになるでしょう。

例えば世之介が入った大学のサンバサークルの合宿で、倉持と世之介が風呂場で会話するシーン。お調子者の倉持が墓穴を掘って童貞だとバレてしまったことや、倉持が唯とキスをした経験について世之介に語る下りなどは、あまりにもリアルでなんだか背中がむず痒くなったという方もいるのではないでしょうか。

これらの登場人物と世之介とのエピソードを通して、世之介のまっすぐな生き方が見えてきます。特別ドラマティックな人生というわけでは全くないのに、私たちは横道世之介という男の生き様に魅入ってしまうのです。

「普通じゃない」ことが「普通」

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出典元:映画『横道世之介』公式Facebook

世之介の恋人である祥子は、彼についての思い出を聞かれてこのように語ります。「全然普通の人だったよ」と。

このセリフを聞いて、「確かに、横道世之介は間違いなく普通の人だった」と感じたのではないでしょうか?しかし、よくよく考えてみると世之介の周りでは「普通」ではないことばかりが起こっており、むしろ波乱万丈だと言ってもおかしくはありません。

倉持が唯を妊娠させてしまい2人で大学を辞めてしまったこと、初対面である千春から「自分の弟の役を演じてほしい」と頼まれたこと、金持ちのお嬢様に半ば一方的に好意を寄せられたこと、ゲイである加藤が一夜の出会いを求めてその手の筋で有名な公園に夜な夜な足を運んでいたこと、帰省先である長崎の浜辺でベトナムからの難民に助けを求められて赤ん坊を保護したこと…。

そして、駅のホームに転落した女性を助けようとして韓国人学生と共に犠牲になってしまったという世之介の哀しい最期。どのエピソードを見ても、「普通」と言い切るのは難しいものです。しかし確実に言えるのは、世之介はどのような場面でも素直にまっすぐに、その瞬間を生きていたということです。

私たちの自分の人生を振り返ってみると、「普通ではない」ことも多かったのではないでしょうか。思い当たることがないとしても、友達の中には実は加藤のように秘密を抱えていた人もいたかもしれませんし、あるいは、ひょんなことから祥子のような大金持ちと出会って純粋な愛を育むことになっていたかもしれません。「普通」であることと「普通ではない」ことの分岐点は、どこで現れるのか分からないものです。「普通」に人生を送ってきたという人でも、他人から見れば「普通ではない」こともたくさんあったことでしょう。その「普通ではない」ことの積み重ねもまた「普通」であり、どんな時でも私たちは自分の人生を確実に生きてきたということを改めて思い知るのではないでしょうか。

横道世之介という「普通」の男の人生は私たちの人生そのものであり、だからこそ愛おしく、輝かしく映るのです。

映画『横道世之介』まとめ

ここまで、映画『横道世之介』について考察しました。

誰にでも当てはまるような日常の楽しさ・愛おしさや喪失が鮮明に描き出され、どことなく切なさも胸に残る『横道世之介』は、青春映画の金字塔と言ってよいでしょう。

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