89歳になった現在でも現役で活躍を続けるクリント・イーストウッド。近年は俳優よりも監督の仕事の方が多いようです。そんな彼の最新監督作『リチャード・ジュエル』が1月17日に公開されます。近年はもっぱら実話ベースの作品を作り続けているイーストウッド監督。この作品も、実際に発生した事件を題材にしていて、それによって運命を狂わされてしまった人物の名前が映画のタイトルになっています。
『リチャード・ジュエル』の題材になったアトランタ五輪での事件とは?
まずは、この映画で描かれている、1996年のアトランタ・オリンピックの際に発生した爆発事件について、簡単にご紹介しましょう。
オリンピック7日目の7月27日午前1時20分頃、オリンピック公園で行なわれていた屋外コンサートの会場で爆弾が爆発、2名が死亡、111名が負傷するという惨事になりました。しかし、警備員のリチャード・ジュエルが直前に爆弾を発見し、観客たちを誘導して避難させたため、被害者を減らすことができたのです。
ジュエルは英雄としてマスコミなどから賞賛されましたが、しばらくして地元の新聞が、彼が事件の容疑者であると報道しました。このことから、マスコミは一転して彼を犯罪者扱い、FBIも完全に彼を犯人と決めつけて、捜査を始めます。
この後の事件の顛末についてはすでに公になっていますが、ご存知ない方も多いでしょう。そうなると、やはり映画を観る際には一種の「ネタバレ」になってしまうので、一応ここでやめておきましょう。
『リチャード・ジュエル』はどんなストーリー?(ネタバレなし)
続いて、この映画のストーリーをご紹介しましょう。当然、前節とかぶってしまいますが…。
警官になることを夢見ているリチャード(ポール・ウォルター・ハウザー)は、ひょんなことから弁護士のワトソン(サム・ロックウェル)と親しくなり、不思議な友情で結ばれます。
数年後の1996年、アトランタ・オリンピックの会場で警備員を務めていたリチャードは、公園で行なわれていた野外コンサートの会場で不審なリュックを発見します。中身が爆弾であることが判明すると、彼は観客たちをすぐに避難させますが、その途中で爆弾が爆発してしまいます。2名の犠牲者や100名以上のけが人が出たものの、リチャードの機転がなければ犠牲者はさらに増えていた、彼は英雄としてマスコミなどから賞賛されます。そんな彼を、母親のボビー(キャシー・ベイツ)は心から誇りに思いました。
ところがしばらくして、地元の新聞記者キャシー(オリヴィア・ワイルド)が、FBIがリチャードを事件の容疑者と見なしているという記事を掲載します。これをきっかけにマスコミは一転して、一斉にリチャードを犯人扱いして糾弾し始め、FBIもあの手この手で彼を調べます。状況証拠こそなかったものの、リチャードは以前の職場で問題を起こしていたりして、FBIの爆破犯人のプロファイリングに該当してしまいます。
リチャードは“親友”として信頼し、ワトソンに彼の弁護を依頼します。状況があまりにも不利だったためリチャードに勝ち目はないと思われましたが、ワトソンはさまざまな証拠から、リチャードが無実だと確信しました…。
冤罪という重い題材だけど観やすい人間ドラマに
イーストウッドの監督作品には、『父親たちの星条旗』、『チェンジリング』、『ハドソン川の奇跡』など、実話ベースの作品が結構たくさんあります。特にこの数年間は、すべて実話に基づくものばかりです。この映画もその流れの中で製作されました。
多くの人の命を救った“英雄”が一転して疑惑の人に…という展開は、かなり『ハドソン川の奇跡』と似ています。物語だけでなく、全体的に淡々とした演出のタッチも似ています。無実なのに世間から犯罪者扱いされ生活を破壊されてしまうリチャード母子の物語を描くなら、より悲劇的に描いて観客の情に訴えるというのがお決まりの手法ですが、イーストウッドはあくまでも抑えた演出に徹しています。
根は善良で謙虚な人柄のリチャードですが、正義感が強過ぎて時に暴走してしまいます。しかも、銃をたくさん隠し持っていたり、爆弾を自分で作ったことがあったりと、間違いなく怪しまれることばかり。その上、FBIにも言わなくていいことまでついつい言ったりしたりしてしまいます。当然、彼の状況はどんどん悪くなってしまうのですが、この様子がちょっとユーモラスに描かれています。ワトソンもそうですが、主人公たちが完璧でないことで映画全体に人間味が漂い、重苦しくなりそうな題材を観やすいものにしているのです。
息子を信じ続けるボビーを演じる名女優キャシー・ベイツ、リチャードに振り回されながらも徹底して彼を支え続けるワトソン役のサム・ロックウェル、そして「愛すべき愚か者」ぶりを見事に表現したポール・ウォルター・ハウザーなど、人間臭いキャラクターたちが織り成すアンサンブルが、この映画の最大の見どころかも知れません。
ただ一方で、女性記者が「枕営業」でFBIからリチャードに関する情報を得たと思わせる表現がある点に対して関係者から抗議があり、上映ボイコット運動まで起きているようです。この件はまだ決着がついていませんが、実話ものの映画では起こりがちなことで、この手の作品を製作する難しさを示す例と言えそうです。
社会派の題材を珠玉の人間ドラマに仕上げてしまうイーストウッド監督。90歳近くなっても現役感がまったく薄れていません。『リチャード・ジュエル』はまさしくイーストウッドの底力を見せつけた傑作です!