山岳ドキュメンタリー『MERU メルー』で高い評価を受けたエリザベス・チャイ・バサルヘリィ&ジミー・チンのコンビの最新作にして、クライミングの中でも最も危険なフリーソロに挑む男に密着した驚異のドキュメンタリー。
第91回米アカデミー賞で最優秀長編ドキュメンタリー賞を受賞した。
映画『フリーソロ』のあらすじ
フリーソロ、それは断崖絶壁数百メートルを命綱無し、素手で登り切る狂気のクライミング。もちろん一つ間違えれば命はない。そんなアレックスは975mの最難所、カリフォルニア州ヨセミテ国立公園のエルキャピタンという崖のフリーソロに挑もうとしていた。過去に幾人ものプロがこのフリーソロで命を落としている。全クライマーのうち挑戦する人間の割合は1%にも満たないこのクライミングに何度も挑戦して数々の難所をクリアしてきた世界一有名な天才フリーソロリストのアレックス・オノルドがこのドキュメンタリーの主人公だ。
鍛え抜かれた肉体、天才的なバランス感覚、指先の使い方、判断力、そしてどんな状況でも冷静さを失わない圧倒的な度胸。
彼の超人的活躍は世界を虜にしていた。
監督およびクルーはアレックスの私生活含めて密着。彼には友人、ライバル、心配しながらも絶対に口は出さない母親、そして交際中の恋人がいた。そして監督のバサルヘリィとチンも人間的な魅力にあふれたアレックスと親しくなっていくが、それゆえにいつ死ぬかわからない彼の挑戦と向き合うのが恐ろしくなっていく。しかしアレックスはそんな周囲の心配は知りつつも、挑戦は止めず、念入りな準備を繰り返したのち、2017年6月3日、前人未到のエルキャピタンのフリーソロを決行する。
映画『フリーソロ』の見所
恐ろしすぎる撮影
こんな恐ろしいドキュメンタリーがかつてあったでしょうか。シンプルな「いつ死んでもおかしくない状況に置かれている」ことに対する根源的な恐怖が呼び覚まされ見ている最中は手汗が止まりませんでした。上の画像見ただけで人によってはもう耐えられないかもしれませんね。もちろんドキュメンタリーなのでアレックス・オノルド氏が全部本当にやっていることです。そもそも完成したのが奇跡の映画と言っていいでしょう。なぜなら普通の映画なら配慮されている安全対策が企画の性質上なされていないのです。撮影中にアレックスが足を滑らせてそのまま帰らぬ人になっていたかもしれませんし、その映像がカメラに収まってしまう可能性も多々ありました。万が一どころの確率ではないというか失敗の可能性の方が大きかったのではないでしょうか。今劇場で見られていること自体が凄いことです。
圧巻のクライミング撮影
そもそもこんなクライミング風景をどうやって撮影しているのか。下手に撮るとアレックスの集中を妨げてしまいます。しかし映画を見ていると俯瞰図、上からの図、下からのカット、手元や表情のドアップなど豊富な構図でクライミングを見ることができ、緊迫感がより高まります。特に手元のアップは彼がいかに繊細なバランスで岩に掴まっているのかよくわかります。こんな撮影を可能にしたのは技術の発展ゆえです。
まずはドローンで上空や下からのアングルを撮影、あらかじめ岩場に設置された固定カメラでアップを、そして崖上からのロープで吊るされたカメラマンが横からのアングルを撮影しています。このアングルの豊富さが圧倒的臨場感を生んでいます。そのせいで死ぬほど恐いんですけどね笑。
魅力的すぎる狂人アレックス
アレックス・オノルドははっきり言っていつ死んでもおかしくない人間です。会ったその時が最後でいきなり訃報が入って来るかもしれません。普通だったらこんな人と親友になったりそれ以上の関係性にはなりたくないものです。しかし彼はその数々の偉業ゆえにクライマー仲間からも尊敬され、親友も多く、可愛い彼女もいます。このドキュメンタリーのクルーとも仕事関係を超えた友情を築いています。彼はいつも穏やかで、ニコニコしていて、孤高のように見えて気さくで気遣いもしてくれます。おまけにイケメンです。見ている観客もどんどん彼のことが好きになっていくと思います。そして好きになっていくがゆえに、ラストの超危険なエルキャピタンをフリーソロで登っていく光景の恐ろしさが倍増します。しかし当のアレックスは登っている最中も割と笑顔。一つの失敗が即、死に繋がるフリーソロをすることで生きている実感を味わうという、言っていることは分からなくもないけどどうかしているアレックス。彼が脳検査を受けに行く場面があるんですが、そこで彼に出される診断結果も非常に興味深いです。こんな人と深い付き合いを持つのは危険だとわかりつつ、否応なく惹かれてしまう。アレックスと周囲の人間の関係はフリーソロとアレックスの関係性に近いものがあります。
作り手の覚悟の物語と狂気のラスト
この映画はアレックスの挑戦の物語ですが、天才であり恐怖のタガが外れてしまっている彼に共感できる人は少ないかと思います。その代わりこの映画で観客を遠ざけないように映されているのは、アレックスを撮影している作り手たちそのものです。クライマックスでエルキャピタンをアレックスが登ろうとしている時、彼らは自分でアレックスを撮り続けようと決めたにもかかわらず、あまりの恐怖に目を背けてしまっている場面すらあります。我々観客はアレックスのフリーソロを事後の映像として見ているのですが、それでも手汗ダラダラになってしまうくらい恐ろしい場面になっています。監督たちは生でアレックスが成功するか否かわからない状態でそれを見ているわけですから、彼らの恐怖と心配は計り知れません。アレックスがついに挑戦を成功させた瞬間、彼への祝福と同時に、作り手たちによくこの光景を撮り続けたとその覚悟を讃えたくなってしまいました。
恐怖と感動が同時に押し寄せる名クライマックス。しかしその直後にチラッと映されるラストカットにゾッとさせられました。一世一代の挑戦を終えたアレックスがそこで何をしているのか。詳しくは言えないですが、彼の挑戦、そしてそんな彼のそばにいる周りの人の修羅の道はまだまだ続くのだと怖くなってしまう狂気のラスト。最後の最後まで目が離せない前代未聞のドキュメンタリー。アカデミー賞を獲るのも納得です。