2018年12月7日に公開され、話題となった中島哲也監督の邦画ホラー『来る』。この映画のブルーレイ、DVDが先日7月3日に発売となりました。圧倒的な映像美とストーリーに夢中になり、ブルーレイ化を待ちわびていたという人も多いのではないでしょうか。
筆者も上映時に夢中になり、映画館帰りにその足で原作小説を買いに走ったほどです。そんな『来る』には霊や化け物などのいわゆる「怪異」によるホラーシーンの他に、社会や家庭に潜む人間たちが作り上げる闇が恐怖として描かれているのです。
今回は本作のみどころや、怪異によるホラーシーンに隠された「人間による恐怖」について、紹介していきます。
冒頭から溢れるホラー感と田舎のしきたりの闇
本作はひとりの少女と少年(若かりし頃の秀樹)がとある田舎の森の中で、向き合いながら話すシーンから始まります。ただ少女と少年が話しているだけなのに、このシーンからぞっとする不気味さを感じるのは、森の薄暗さだけではなく這いまわる芋虫たちが所々で移り込むからでしょう。
本作では不穏さの象徴としてしばしば虫が使われます。ビルだらけの都会ではなかなか見ることができなくなった虫たちが、日常に表れることにより、「田舎から来た怪異」の浸食を表しているとも捉えることができます。
その後のシーンでは現代に移り、のちに怪異のターゲットとなる田原秀樹と、その妻である香奈が秀樹の実家である田舎に訪れます。そこで行われる宴会にも、人間による悪意が散りばめられているのです。
女たちが食事の用意をし、男たちは座って待っているだけ。「○○は出世して偉い」「○○は落ちこぼれだ」など、親戚内で出来の良し悪しを比べて乱闘が起こる。恋人でもない女性に親戚の男性がセクハラを行う…などの出来事が平然と行われる席。しかし、それを誰も本気で抗議しようとはせず、暗黙の了解で許す環境に香奈は居心地の悪さを感じるのです。
これらは怪異のせいではなく、人間からにじみ出る悪意やいびつさだと感じます。最初の数十分から既に詰め込まれた人間たちの自覚のない悪意に、戦慄した方も多いのではないでしょうか。
邦画らしいホラー表現。人間の側面は見る人によって変わる
物語が進む中で化け物である「ぼぎわん」の存在も色濃くなっていくのですが、人間たちのいびつな闇もさらに深まっていきます。
娘の知紗が生まれてからイクメンの顔をして振る舞う秀樹でしたが、本当は知紗の世話は香奈まかせでイクメンらしい姿をブログにアップしたり周りに吹聴したりして、調子よく気分に浸っているだけの男でした。
そんな秀樹の姿に憤りながらもうまく不満をぶつけられず、だんだんと育児ノイローゼになっていく香奈。秀樹がぼぎわんに殺されてから、知紗をひとりで育てなければならないという責任とストレスに押しつぶされ、自称・秀樹の親友である津田との関係にのめり込みます。知紗の世話はキャバ嬢霊媒師の真琴に任せ、娘は邪魔だと言わんばかりです。また、その津田も秀樹の親友というのは偽りの姿で、心の中ではずっと秀樹のことを嫌い、蔑んでいました。
秀樹のブログ読者やイクメン仲間の視点から見れば、秀樹は理想の夫で父親でした。しかし、秀樹の態度に苦しんでいる香奈の視点で見た時、秀樹はただの自分本位で見栄っ張りな、子供の世話を母親任せにする無責任な父親です。また、香奈も秀樹に苦しめられ、秀樹が死んだあとはシングルマザーとして必死に生きる一面を見せます。しかし心が折れて娘の世話を他人に任せ、津田に拠り所を求めている姿は、自分の欲望を優先し娘を育てるという責任を放棄した母親です。
本作では視点を変えることにより、登場人物は善人にも悪人にもなります。しかし彼らは決して、特別な人間ではありません。現代社会では場面に合わせて、人はたくさんの顔を使いこなします。『来る』の登場人物たちが見せるのは、誰もがなり得る可能性のある現代の人間の姿なのです。
恐怖の正体…寂しさから呼び寄せた化け物は罪か?
終盤で「ぼぎわん」を呼び寄せていたのは、秀樹と香奈の娘である知紗であることが分かります。彼女は両親の愛が枯渇した寂しさから、無意識に怪異を引き寄せていたのです。
知紗が化け物を呼び寄せたのは悪意からではありません。そして知紗が「ぼぎわん」を呼ぶ原因になったのは、両親である秀樹と香奈の存在です。「ぼぎわん」は多くの人を傷つけ死に追いやりましたが、それは知紗の罪になるのでしょうか?むしろ知紗は現代のいびつな家庭に傷つけられた被害者に見えてくるのです。
『来る』の真の恐怖は人間の持つ歪み
本作は邦画ホラーらしい不気味さに加え、ミュージカル作品のようなテンポの良さも抜群です。特にところどころに仕込まれた効果音が絶妙な恐怖を煽り、ビビットカラーな演出が耳にも目にも焼きつき離れません。終盤で行われる、日本中から霊能力者を呼び寄せた大規模なお祓いはその集大成とも言え、多くの人がその派手さとダイナミックさに圧倒されることでしょう。
しかし、その派手さの中には「現代家庭の歪さ」「人間の闇」という身近なテーマが仕込まれています。劇場で見そびれた、という人は、ぜひこの夏『来る』をご家庭で、家族と一緒に観てみてはいかがでしょうか。